SQLer 生島勘富 のブログ

RDB・SQLの話題を中心に情報発信をしています。

スティーブ・ジョブズ氏について

 誠に残念なことにスティーブ・ジョブズ氏が亡くなってしまった。ご冥福をお祈りいたします。

 私はスティーブ・ジョブズ氏にそれほどの思い入れもない。ですから、思い入れのある人達が語れば良いだろうと考えていました。その功績は間違いなく立派で賞賛に値する。ですから、みんなが賞賛すること、死を悼むことは決して間違いではないと思う。

 しかし、多くの人の行動に、あまりに違和感を禁じ得ないので少し……。


 ジョブズ氏について、いろんな本が出ていて、知っている人は知っているけれど、こんな感じの人。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA#.E4.BA.BA.E7.89.A9.E5.83.8F

 日本人的なサラリーマン感覚で見れば暴君以外の何物でもない。ですから、アメリカのように個性を重視するかなり自由な国においても、創業者でありながら、一度、追い出されている訳です。

 常識から外れ、常識と闘い続けてきました。イノベーションを起こすということは常識を潰し、新たな常識を作ることであり、その多くは暴君にならないと成し得ないことでもあるのです。

 私は「技術者に民主主義(=多数決)は関係ない」「正しいことはどこまでも正しく、間違っていることは何万人が賛成しようと間違っている」言い続けて来たが、ジョブズ氏は技術者じゃないけれど、言ってることやってきたことは全く同じ。

 「常識を疑いなさい」「常識と闘いなさい」ということが最も重要なことなのです。

 ジョブズ氏の死を悼むことは結構なことです。しかし、ジョブズ氏は。本当にアップルストアに花を手向け、すぐさまiPhone4Sを予約する「善良な消費者」を求めていたのでしょうか?

 死亡届に人生最後のタイトルとして「起業家」と書く人の想い(もちろん、ご家族が書いたのでしょうけど)が、そんなに軽いとは思えない。

 私は会ったこともないし、特に思い入れもないけれど「どんなに小さくても私も闘うよ」と思うことが、最も「ジョブズ氏の死を悼む」ことになるだろうと考えています。元々そうやってきたし、これからもそう考えている。

 私のことを言いたいわけではない。何か志を持って起業した人達。日本の中小企業の社長のほとんどは、ジョブズ氏に負けない拘りを持って常識と闘っている。常識通りみんなに合わせて勝てるほど甘い世界ではないから。

 しかし、「闘う君の唄を、闘わない奴らが笑うだろう」

 闘わない奴らは、花を手向け悲しんでいるけれど、次の瞬間に、闘う人を笑う。

 悲しんでいるのも、『みんな』に合わせているんじゃないのか。『みんな』の評価がなければ悲しむことも、讃えることもできないんじゃないか、とさえ思う。

 そんなことないなら、善良なAppleの消費者であるだけではなく、少しでも常識と闘ってくれたらと思う。

 「お前にジョブズ氏の何が分かるのか?」って思うのも結構。しかし、日和見のサラリーマンに言われちゃあ、ジョブズ氏もあの世で苦笑いしてるだろうけどね。