SQLer 生島勘富 のブログ

RDB・SQLの話題を中心に情報発信をしています。

原発について雑感

  東日本大震災では亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様の一刻も早い復興をお祈りいたします。

『ずっとウソだった』

 原発について何がおかしいか。斉藤和義さんの『ずっとウソだった』を聞いて思うこと。

 私は原発は嫌だと思っていた。チェルノブイリ事故は高校1年のときで、こんな曲を聴いていたりしたもんだ。人生で買った音楽CDは数枚しかないけれど、『COVERS』はその中の一枚で、そこに収録されていた曲だったりする。

 

 斉藤和義さんも好きだし、忌野清志郎さんも好きだ。主張としては清志郎さんの方が上だな(笑)。

 当時は、冗談抜きで「1999年のノストラダムスの大予言」と絡めて、原発、フロン、ダイオキシン、AIDSなどの脅威が語られていた。後から検証すれば、いい大人が何の根拠もなく不安を煽っていただけというのが分かったのですが、今ほどは情報がないし、とにかく、原発はよく分からなかったから怖かった。それがオウムを生んだのですが、今もまた、変な勧誘が始まりだしていたり……。

 しかし、情報が簡単に得られる時代になり、ある程度勉強すればそんなに怖くない。リスクはあっても避けれるリスクであると理解するようになった。

 さらに、新潟中越地震をみて日本の原発技術に感動した。よく耐えたと感心した。浜岡原発については止めた方がよいとは思っていたし、今も、何とかすべきと思っているけれど、新潟中越地震に耐えられたのであれば、同規模なら耐えられるだろう、原発がそれを超える地震の直撃を受ける可能性はないだろうと考えていました。

 残念なことに、それを超える地震津波が起きた結果、原発事故が起きた。現在起きていることは、考え得る最悪の事態だと思う。しかし、最悪でも人が亡くなるような事態にはならないということが分かった。

 原発事故は最悪でも人が死ぬようなことはないし、今回の事故を受けて防災対策を行えば日本の原発はより安全になる。であれば、もっと原発を作ってCO2削減を行ったほうが良いと私は考えている。

「感情的な『絶対』」と「科学的な『絶対』」

 
 「感情的な『絶対』」というのは、プロポーズのときなど(笑)に「『絶対』XXする」「『絶対』XXない」などという「強い思い」「強い決意」の表現に使われる言葉です。「科学的な『絶対』」というのは「生物は『絶対』に死ぬ」というような科学的に普遍なもので、科学的に「絶対」といえることは非常に少ない。

 原発についての根本的な問題は、本来、「科学的な『絶対』」を使うべき原発の技術者たちや学者たちが「感情的な『絶対』」を使い、感情的な反対派が「科学的な『絶対』」と受け取ることにある。

 結婚式のスピーチで使われる「絶対」という言葉はものすごい回数に上りますが、それが守られていたら日本の離婚率はゼロに極めて近くなります。あえて言うほどのことでもないけれど、離婚率がゼロにならないというのは「感情的な『絶対』」と「科学的な『絶対』」が存在することは一般に認知されていたということです。

 「原発は『絶対』に安全」というのは、結婚式のスピーチで「たまには浮気するかもしれません」とあえて言わないのと同じで、その程度の意味です。斉藤和義さんの「ずっとウソだった」を聞いて、いい大人が「その程度の言葉のニアンスが分かってなかったんか」って思う。まあ、ミュージシャンというような人は、私なんかの何万倍もナイーブにできているからこそすばらしい作品を作れるのだろうし、こういうときに過敏に反応するのは仕方がないのかも知れないけれど。

 それはともかく、「絶対」という言葉の取り違えが大きな問題になっている。わけの分からない言葉のレトリックで議論を続けてきたから、今回の事故を生んでしまったのではないか。つまり、くだらないの議論(と呼べるのか?)の結果、今回のような炉心溶融が起きたときの想定マニュアルを作れなかった。

 なぜか?

 「炉心溶融が起きたときのマニュアルが存在している」ということが、反対派によって「絶対安全というのは嘘」という証明に使われるためです。そのため検討を大規模にすればするほど、不安を煽るというわけの分からない理屈で手を抜いてこられた。

 もちろん、対策のコストをケチったということもあるだろうけれど、コストを削るための口実に使われたということも、反対派は知るべきだ。さらには、反対派のために原発を新設するのは大変難しいため、耐用年数を超えても使い続けざるを得なかったことも、被害の拡大につながった。

離婚するかしないか。

 原発の技術者、学者が言ってきた「原発は『絶対』に安全」というのは、「感情的な『絶対』」でしかない。

 今の状況は「絶対に浮気しない」って言ってたけれど浮気してしまった、というところだ。それを受けて、騙したと泣いてわめいたって、まあ、電力会社側としては「ごめんなさい」っていうしかない。

 それは、感情的には許せない、離婚しか選択肢はない、となる気持ちは分からないでもない。感情だから止めようがない。しかし、感情だけでは議論にはなり得ない。「反対だ」と言ってる人たちは議論になっていると考えているかもしれないけれど、議論になっていない。経済的な問題で離婚はできないのです。最低でも何十年かは一緒に暮らさないといけない状態で、毎日泣き喚いて感情的に責めても何も解決しないのも現実です。

 感情的に「騙した!」と泣き叫べば叫ぶほど事態は悪くなる。関係が悪化するだけですが、情報を隠しているとか、まあ、浮気がばれると、仕事上会っただけの女性まで、逐一報告せねばならず、それが漏れると「隠していた!」ってことになって……。
 そんな状態。

 危機にあって、本当に公開しないといけない情報と、そうでない情報がごっちゃになっているし、騒がれると余計に事態収拾に時間が掛かることになるから、当事者としては隠そうということになる。

 政府や東電の対応に私もまったく納得はいかないけれど、遠く離れて何もできない人間が、感情的に「騙した!」、「隠した!」って重箱の隅をつつくときでもない。

 遠く離れているのであれば、冷静に今後について考えるべきでしょう。

 離婚したいのであれば、いったん落ち着いて事態の収拾をはかり経済的に自立すること。つまり、原発がなくても経済的に成り立つ自然エネルギーを確立すること。
 要するに、原発は経済的に優れていると思っていたから電力会社は推進してきたわけですから、原発より安くクリーンなエネルギーを確立すれば原発は確実になくなるのです。もちろん、犬吠埼にたくさん風車を立てれば東京の電力をまかなえる、というような何の根拠もないオカルトのようなデマを唱えるようでは、感情的以前に話にならない。

 とにかく「嫌だからなくす」は議論にはなり得ない感情論。原発関連者を殻に閉じ込めるだけになる。

原発は建てられない

 私は建てたらいいと思うけれど、今後は、日本で原発を新規に建てることはできなくなるだろう。世界でも原発は避けられることになるだろう。

 しかし、計画停電などで騒がれるが、原発がなければ電力不足は避けられない。原発をなくせば化石燃料による火力発電の割合を増やさざるを得ず、化石燃料の高騰による電力価格の高騰は避けられない。CO2を25%削減するのに原発がある状態で190兆円の負担と試算されていたのですが、原発なしに達成するとすれば、その負担で日本経済は確実につぶれてしまう。

 結果的に現在ある原発は使い続けなければならない。

 使い続けるにあたって、もちろん、新形炉の方が安全性は高いが、原子炉を新規に作れないということは、裏を返せば安全性の低い旧型の炉を耐用年数を過ぎても使わなければならない。

 反対派は安全に原発の利用するための研究をすることすら汚らわしいと反対するわけで、その反対派のおかげで危険性がどんどん高まっていく。

 沖縄の普天間基地のすぐそばに小学校があり、その騒音や危険性がいつも問題になっているが、小学校の移転に反対するのは基地反対派です。彼らは小学校を巻き込む事故を望んでいるのではないかと思うぐらいだ。そうじゃないなら、小学校をまず移転してから基地問題を考えるべきなのだがそうはならない。感情の反対に勝てない。

 結果から見れば、反対派は何がしたいのかよく分からん。

地球温暖化 − CO2の削減について

 地球は温暖化しているのか、してないのか、はっきり分からない。温暖化していたとしてその主因がCO2の増加であるかもはっきりとは分からない。しかし、私はCO2が原因で温暖化しているのであろう。と考えている。

 今回の事故の結果、地球規模で見ると、中東の政情不安と相まって化石燃料の高騰は避けられず、電気料金の値上げにつながり、経済回復はさらに遅れるだろう。CO2が原因か分からないけれど、CO2が原因だとすればさらに温暖化は進むことになる。

 福島原発の事故では、今後も死者が出ることはないだろう。放射線は他の危険因子よりも厳格に管理されていて、測定しやすいため、このような事故でも放射線で死ぬ人はほぼいないことが証明された。(津波で亡くなったり、自殺された方は出てしまったけれど)日々、起きている火災では、現実に消防士は亡くなっているし、障害が残るような怪我もされている。もちろん、火災で亡くなる方も大勢いる。管理しきれない日々起こる火災の方がはるかに危険なのです。

 ヨーロッパで2007年に起きたような熱波では、5万人以上が亡くなり、ハリケーンカトリーナでは2000人以上が亡くなったが、CO2が原因で地球が温暖化していた場合、今後、台風やハリケーンはさらに強烈になり、猛烈なゲリラ豪雨や異常な熱波、寒波の頻度も増えて、亡くなる人は増えるだろう。

 日本では、去年の猛暑のため熱中症で1600人もの方がなくなったけれど、去年のような猛暑になって停電になったりしたら、もっと多くの人がなくなるかもしれない。気密性の高い高層マンションの20階以上に住んでいて、猛暑のころに停電になったら逃げ場はない。高齢者や乳幼児は耐えられないと思う。

 つまり、原発事故で亡くなる人はいないが、原発が使えないことで直接的な被害が出る可能性は大いにあるのです。

 しかし、長期的な影響は学者の中でも意見が分かれる。わずかな放射線でも影響があるという学者もいるし、閾値を超えなければ大丈夫という学者もいる。放射線について人体実験をしてないので、短期的に影響がある閾値しかはっきりとは分かってない。

 なんにしても、放射線の長期的な影響は癌だけで、原発事故がなくても50%の人が癌になることを考えると、長期的な影響はそんなに大きいとは考えられない。

 短期的、長期的なリスク・危険をどう測るか。学者の中でも意見が割れているが、悪く見積もっても、経済的被害を無視して人的被害で測るなら原発はかなり安全で、今後も使い続けた方が良いと私は考えている。将来の世代に「CO2を減らしておいて欲しかった」と言われる可能性の方が、かなり確率が高いと私は考えている。

 もちろん、今のところ勉強不足で分からないけれど、突如言われ始めたトリウム炉に変更できるなら、電力会社や動燃には、変な意地を張らずに変更して欲しい。

 とにかく、感情論は要らないので、ちゃんとした議論ができる環境になって欲しいと願う。

 私も熱くなるタイプだけれど理屈は常に持っている。

 繰り返すけれど、「とにかく怖い」「とにかく嫌だ」という感情的な発言では議論にはならない。

 お互いに都合の悪い数字もつき合わせて議論すべきだ。

なんでSQLについて書いてないのか?

 地震は関係なく、業務システムは壊滅的な状態にある。もちろん、大企業に常駐すればあるのだろうけれど、受託では中小企業ができる仕事はほぼない状態です。地震で大阪の需要が増えたりすることは、今のところないしね。

 結局、WEB系の仕事をしているのだけれど、テーブル5個ぐらいで事足りてしまう。これでは書けんな〜と思っていたり……。

 チューニングとかあったらやりますよ(笑)。